5月14日 山登りには何度も訪れている信州(長野県)。今回は、山登りではなく、その歴史をさぐってみようという旅をした。自宅を8時頃に出て、中央道の相模湖ICから一路長野をめざす。今日は、善光寺にお参りをし、川中島の古戦場を巡って、松代の町を歩く予定。天気も良く、途中のSAでは、諏訪湖や八ヶ岳を眺め、長野道に入ってからは穂高や常念をはじめとした北アルプスを遠望しつつ3時間ほどで善光寺に。
善光寺 善光寺本堂に安置される御本尊一光三尊阿弥陀如来は、白雉5年(654)以来の秘仏とのこと。ほとんど全く知識のないままに本堂に入り、500円を払って内陣で仏様にお祈りをする。さらに、内々陣のお戒壇めぐりに進む。わけのわからぬまま「腰の辺りの壁を手で触って進んでください」との説明に進んでいくと、辺りは真っ暗闇に。こんな闇に出会ったのははじめてだ。後で話しに聞くと、死後の暗闇の世界を現しているとのこと。しばらく歩くと金属製の鍵があり、それが絶対秘仏のご本尊との結縁を取り持つ「かぎ」とのこと。いやぁ、良いお参りが出来た。
信州といえば「そば」と「おやき」??? ということで、お昼は善光寺の参道にて「おやき」をいただき、そば屋にて「ざるそば」をいただく。野沢菜のおやきが120円、ざるそばは700円でした。腰があり、香ばしいおいしいそばでした。そば屋を後にして、川中島の古戦場に。妻女山の位置。千曲川の流れ、川中島からの景色を目におさめる。土地のおばちゃんのお店で「長いも」を買う。とても長くてりっぱな長いもが500円とのことで、土産に買おうか思案していると、サービスしとくよ、とあと2本もつけてくれた。ありがとうおばちゃん。

さて、松代の町へ。松代城趾の北側に車を止めて城趾の散策に。本丸を中心に発掘調査の結果に忠実に石垣を積み直し、北側と南側の門が再建されている。江戸時代の初めにここに真田信行が入部し、現在の形を整えたとのこと。10万石の大名の城としては、その本丸の面積の小ささに驚く。多分、川中島の戦いの時代にこの地に築かれていた「海津城」の城域をそのまま踏襲したのだろう。土塁、虎口、枡形、掘、櫓門と、往事の姿を想像させるに十分な保存修理がなされていると思いました。(写真は南側の大手太鼓門と前橋)
江戸時代の城域の模型
北側の「北不明門」
北側の搦め手側の虎口の様子

松代城を後にして町に出る。文武学校という藩校を訪れる。松代では「エコールド松代」といって、文化財を趣味や生涯学習の場に利用しているとのこと。この藩校でも中学校の剣道大会やお茶の会、盆栽教室や合気道、囲碁大会などに利用されているとのこと。「文化財を使って守る」という発想はすばらしいと思った。黒光りする江戸時代からの剣道場で、今の中学生たちが試合に汗を流す様が目に浮かんだ。

文武学校のすぐ前には「旧白井家表門」がある。間口二十メートルというりっぱな門だ。歩いて数分の真田邸へ。九代藩主が1863年建てた御殿とのこと。回遊式庭園も見学することができる。すぐ隣には「真田宝物館」という建物もある。真田家から譲り受けた品々を展示しているのだが、展示方法などは・・・の部分がたくさんある。せっかく町をあげて「遊んで学ぶ大人の学校」を目指しているのならば、こうした展示にもしっかりと手を入れてほしい。

真田宝物館から数分のところに重文の「旧横田家」という当時の中級武士の家がある。中級武士とはいえ、りっぱな門構えだ。庭には泉水をともなった庭園もある。土蔵、菜園、隠居所と当時の武家屋敷の様子がよくわかる。庭にはおだまきがきれいに咲いていた。象山記念館により、思索の小道と名付けられたせせらぎに沿った静か道を歩いて駐車場にもどった。

車に乗って真田家の菩提寺であった「長国寺」へ。二棟の「お霊屋」があり、重文になっている。破風には左甚五郎作といわれる鶴の彫り物もあり、豪華な作りになっている。松代は全体にこぢんまりとした町で、今の時代の中で忘れられたように存在している。真田氏の城下町でなかったならば、観光客も訪れない町だったのではないか。松代城の復元の仕方、文化財を使って保存する姿勢、など好感の持てる町作りをしていた。

今日の泊まりは松本の奥座敷と呼ばれる「浅間温泉」。ネットで予約をした「東石川旅館」という蔵づくりの宿だ。泉質は無色透明であっさりとしている。馬刺の特別料理をふくんだ夕食をいただく。久しぶりの長距離運転に疲れていたのか、酔いが回るのが早い。早々に床にはいる。

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