10月12日・13日(2008年) 2005年、長野県内の北部の中山道をたどり、2006年に、諏訪湖から南側、つまり木曽路を下っていく旅をした。今回は、中山道の西の端を琵琶湖あたりから岐阜あたりまでたどろうという計画だ。12日の6時過ぎに自宅を出発。厚木インターで東名高速に入り一路西に向かう。滋賀県の竜王インターまで5時間ちょっと。
竜王インターを下りてとりあえず「近江八幡」という神社を目指すことにする。実は、下調べをほとんどしてきていないので、「近江八幡宮」という神社があるものだと思いこんでいたが、そうした神社は存在しないようだ。とりあえず近江八幡の町を車で走ることにしたのだが、連休の観光地は駐車場も満杯で入ることも出来ない。しかたがないので本来の目的地である「安土城趾」に向かう。近江八幡の中心部から「安土城趾」までは15分ほど。駅の近くにある「町営 安土城郭資料館」というところに入る。
安土城は1576年に織田信長によって築城された城。1562年には本能寺の変で殺された信長の後を追うように焼失してしまった。今ではその当時の姿を知る手がかりはほとんどないが、宣教師ルイスフロイスの手記などを手がかりに再現された1/20の天主模型がこの資料館には展示されていた。資料館を出てお昼を食べるところを探すが何もない。コンビニさえも見つけられず、マクドナルドを見つけてやっとランチタイム。その後、滋賀県立の博物館にあるセビリア万博に出品されたという天主の5階、6階部分の原寸大復元を見る。
いよいよ安土城趾に。ここではこの10年間の発掘調査で様々な遺構が土の中から出てきた。それらを当時の様子を忠実に再現する形で整備がされています。大手道は圧巻です。直線的に続く石畳のこの道の向こうには、あの天主がそびえ立っていたかと思うと、安土城は「見せるための城」だったことがよくわかります。それにしても、豊臣秀吉屋形跡、徳川家康屋形跡、前田利家屋形跡と、これでもかといった石垣の跡は圧巻です。たくさんの石仏が無造作に石垣として使われていたのも印象的でした。
伝 豊臣秀吉屋形跡
本丸への道
天主の礎石

安土城趾の見学は1時間以上かかりました。その後、琵琶湖沿いの道を彦根方面に向かい、そこを通り越して長浜まで。ここは豊臣秀吉が一時領有していたところで、北国街道の入り口ということで、柴田勝家との賤ヶ岳の戦いも近くでおこなわれたとのこと。泊まりはここのビジネスホテル。連休直前の検索だったので、温泉つきの宿などはすでに満員。しかたなくこうなってしまった。翌日は早くに起きて彦根城に。彦根城はその縄張りのほとんどが残されていて、天守をはじめとした櫓も多く残されている貴重な城郭です。

彦根城博物館の前にある駐車場に車を停める。すでに朝早くから多くの観光客が集まってきている。開場と同時に、鐘の丸→天秤櫓(左の写真)→太鼓門櫓→天守と歩いていく。上の写真の橋の下をくぐって、ぐるっとまわって左の写真の天秤櫓にたどりつくようになっている。敵が攻め寄せてきたらこの橋は落とされてしまい、石垣をよじ登るしか攻めようがなくなるように設計されています。天秤櫓の石垣も見事でした。

いよいよ天守閣へ。それほど大きくはないのですが、多くの破風が全体のデザインを優美に飾っているようです。中に入ってみるとさすがに戦闘用に作られた建物だ、ということがよくわかります。破風の中にも小部屋が作ってあって、いざというときにはそこから鉄砲が撃てるようになっています。でも、近くから見るよりも、遠くから見た方がかっこよいなぁ、と思いました。掃除をしているおじさんに「どうしてこの城は明治のはじめに破却されなかったのですか?」と質問したら、長々と説明をしていただきました。ありがとうございます。

天守から西の丸三重櫓を経て楽々園→玄宮園へ。楽々園は藩主一族の暮らした屋敷、玄宮園は大名庭園。この玄宮園という庭園は見事でした。青空をバックに天守閣が映えていました。先日行った東京の後楽園よりもこちらの方がずっとすばらしかったです。博物館の見学などもふくめてたっぷり3時間以上。彦根城を堪能しました。彦根を後にして車で中山道を走っていきます。途中、不破の関跡に立つ小さな博物館を見学して関ヶ原へ。
関ヶ原の町役場近くにある「歴史民俗資料館」にて大ざっぱな知識を仕入れ、明智光秀が陣を敷いたという笹尾山へ登ってみる。ここからは関ヶ原が一望できる。俯瞰図を見ながら「どこに家康が陣をはり・・・」と確認してみる。思った以上に関ヶ原は狭い。ここに東西20万もの軍勢が集えばすごいことだったろう。いずれにしてもどの軍勢がどう動いたと、ここからでは手に取るようにわかったはずだ。関ヶ原を後にして大垣城趾に立ち寄って帰路についた。
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