10月8日(2006年) 昨年、長野県内の北部の中山道をたどる旅をした。今回は、諏訪湖から南側、つまり木曽路を下っていく旅を計画した。木曽路には「奈良井宿」「妻籠宿」「馬籠宿」などの昔の街並みを保存した場所があり、そうしたところをたずねるのも目的だ。8日の朝6時過ぎに家を出発。八王子インターから中央高速に乗り、塩尻インターで下りる。
秋の空はどこまでも青い。塩尻インターを下りるとあちこちにブドウ畑が広がり、窓を開けると甘酸っぱい匂いが車に入ってくる。その中のひとつの農園に寄り、ひと箱1,000円というブドウを買う。しばらく行くと「贄川(にえかわ)」という木曽路最初の宿場になる。ここには「贄川関所」というものがあったが、昔の面影は何も残っていない。このあたりから先は「木曽漆」が名産らしく、そうした工場や直売所が数多く道沿いに点在している。その中の組合直売所というところに立ち寄る。同行の友達が「そばちょこ」を購入。
数十分で「奈良井宿」へ着く。1キロにわたって昔の宿場の街並みが残っている。好天の連休なので、旅行者も多い。それぞれの家には、屋号がついている。同じ名字の家が多いので、屋号で区別したそうだ。その昔は、奈良井千軒と呼ばれたほど繁栄した宿場らしく、その様子を今に残している。この宿の先には「鳥居峠」という峠があり、旅人はその峠越えにそなえてこの宿を利用したらしい。ちなみに、この鳥居峠は分水嶺で、ここで木曽川は南に、奈良井側は北に向かって流れを分けている。信濃国と美濃国との境でもある。
奈良井宿を後にし、車を南に向かって走らせる。途中、木曽義仲の伝説にちなんだ場所があるのだが、どれも、伝説のたぐいで定かなものはなにも残されていない。「寝覚ノ床」という川によって浸食された地形も見学する。数十分で木曽福島の街に。街の入り口に「関所跡」があるので見学する。礎石が残され、資料館が建っている。この地形こそ関所の場所に最適だ、と思わされる。一方は川に面した崖で、他方は切り立った山の斜面だ。そんな隘路に関所はあった。女性の往来が多かったという中山道では、その改めがおこなわれたという。
奈良井宿 高札場
木曽漆は特産品
奈良井宿の家々には屋号がある

あちこちと寄り道をしているうちに5時を過ぎてしまい、妻籠宿の見学は明朝に回し、今晩の宿に向かう。宿は南木曽温泉「富貴の森温泉 床浪荘」というところ。ネットで検索して予約した。料理も食べきれないほどだったし、露天風呂は気持ちよかったし、部屋が安っぽかった点を減点しても値段の割にはGoodでした。仲秋の翌日だったので、満月を眺めながらの夜の露天風呂は最高でした。

翌日は9時前に妻籠宿の北側の駐車場に車を止めて宿を散策する。さすがに朝が早いので人も少ない。ここは奈良井宿以上に昔の面影を色濃く残している。とくに枡形のあたりの街並みは一見の価値がある。「重要伝統的建造物群保存地区」として日本で最初に街並みの保存運動がはじまった場所だということだが、この様子をぜひとも伝えていって欲しい。

妻籠宿の中心付近には復元された本陣と、江戸時代末期に建てられた脇本陣が残されている。脇本陣に隣接して歴史博物館も併設されている。この歴史博物館が秀逸。だいたい、こうした観光地の博物館はがっかりさせられることが多いのだが、ここは学芸員のセンスがよいのか、それぞれの展示がしっかりとした意図のもとに作られていた。木曽路の歴史、妻籠周辺の歴史、地理、民俗学的なこと、いろいろなことを知ることが出来た。

妻籠から馬籠峠を越えて馬籠に向かう。確かにこの峠を越えるのは大変だ。旅人が妻籠で一休みしたのもうなづける。馬籠はとんでもない人で賑わっていた。ここは奈良井や妻籠と違い、擬似的な歴史の街になっている。旧街道の両側にはそれらしいつくりではあるが、土産物屋や食べ物屋が並び、完全な観光地となっていた。ここは見るべきものもないのでひとまわりして帰途につくこととした。
中央道の中津川インターで高速に乗り、東名高速経由で帰途につく。途中、掛川で寄り道。掛川城を見るためだ。城に近づくとどうやら祭りの最中らしい。交通規制が敷かれている。城から離れた所に車を停めて大手門(右の写真)を通って本丸に向かう。掛川城は今年の大河ドラマの主人公山内一豊によって近代城郭として整備されたもので、場内では「一豊と千代展」という催し物もやっていた。
掛川城の天守は幕末の地震で崩壊してしまったのですが、最近になって「復元」されたものです。「再建」ではなく「復元」というところがすばらしい。小田原城のようにコンクリートで作ったのではなく、倒壊前の姿に資料等を元に復元したわけです。大きな天守ではありませんが、美しい天守でした。また、二の丸には幕末に建てられた御殿が残されていて、当時の様子を知ることが出来ます。

掛川城を後に東名高速を帰路につきました。

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